自分を愛せない人々

自分を愛せないと魂の声をきくことができない

前回、チャネリングとレイキの話から

魂の声をきくことの重要性について書きました。

魂の声を無視すると魂から離れてしまう。

すると

本当に知らなければいけないこと

気づく必要のあることが全くわからなくなってしまう。

だから

魂の声をきく必要がある。

要約するとそういう話でした。

魂の声をきくことができない人々がいます。

なぜ魂の声を聞くことができないかといいますと

自分を愛せないからです。

自分を愛していない。

自分が嫌い。

だから

自分の魂の声など聞きたくないのです。

嫌いな人の話は聞きたくない。

それは他人でも自分でも同じというわけです。

だから

自分を好きになった方が良い。

自分を愛することは重要である。

という理屈はわかった。

自分を愛する方法は?

すると 次に

自分を愛したいからその方法を知りたいと思います。

ですが

その方法を教えられる人がどのくらいいるのだろうか?

自分を愛する方法を教えられる人はいるのだろうか?

という問題が出てきます。

自分を愛せない人が自分を愛する方法を人に伝えることなどできません。

これは当たり前です。

では

自分を愛している人がどのくらいいるのだろうか?

おそらく、この文章を読んで違和感を感じる方は多いと思います。

なぜ自分を愛する方法を知っている人が少ないのか?

なぜなら自分を愛することをよく思わないコミュニティが多くあるからです。

人間は必ず自分の属しているコミュニティの影響を受けます。

理由は人間の体の70%が水でできているからです。(水は周囲の影響を全て受けます)

コミュニティは人の集合です。

数人のコミュニティもありますが、それは分割した場合です。

数人のコミュニティの集合もまたコミュニティです。

だから人は多くのコミュニティに属していることになります。

人間社会で生活する限り必ずです。

自分を愛することをよく思わない とはどういうことか?

個を尊重しないということです。

コミュニティは多くの人で成り立っています。

多く人が集まれば集まるほど

多くの人が認めたものが認められるようになります。

中には少数の人間の認めるものを認める人もいますが

その数は決して多くありません。

(そして自分のコミュニティの多くの人が認めたものが

 他のコミュニティでも認められるだろうと勝手に思う。

 それが争い、戦争の原因になります。)

なぜ多くないのか?

他人を批判することでしか自分を認められない人がいるからです。

このような書き方をしたくないのですが

他人を批判する方は大なり小なりこういう意識を持っている方が多いのです。

ですが

その原因をたどるとやはり自分を愛せないということになります。

自分の器を満たせていない。

自分を愛する方法を知らないために

他人から愛を与えてもらおうとします。

そうすると

自分という個を抑える必要が出てきます。

愛を与えてもらうために

愛を与えてくれるかもしれない対象の望むことをするようになるからです。

そうしなければ愛を与えてもらえないから。

あれ?

では自分を愛するとは自分という個を尊重することだろうか?

と気づいたとします。

おっしゃる通りです。

自分という個を尊重すれば良いのです。

尊重とは「尊いものとして重んずること」と辞書にあります。

自分を尊いものとして重んずることができそうでしょうか?

首を縦に振れない。

振りたいが抵抗がある…としたら

その理由はコミュニティの影響です。

自分以外の人を尊いものとして重んじることに抵抗はないのに

なぜか自分を尊いものとして重んじてはいけないような気がする。

それは

そういうコミュニティに属しているからです。

そのことを不幸だと言いたいのではありません。

自分を愛する方法を知らない人が非常にたくさんいるのだ。

ということを伝えたいのです。

非常に多くの人々が自分を愛せないのです。

その中に加害者・被害者は存在しません。

強いて言うならば全員が被害者ということになります。

愛されない苦しみから逃れるために他の人からの愛を求める

多くの人が 愛して欲しい と思っている。

そして誰かに愛してもらおうとしている。

けれども

誰かに愛してもらうということは

自分という個を抑えなくてはいけない。

愛を欲している状態、

すでに自分という個を抑えつけている状態で

さらに個を抑えつけたらどうなるか?

苦しくて苦しくてたまらなくなる。

だから こう思う。

この苦しみは誰かに愛してもらえば無くなる…

けれども それは幻想です。

誰かに愛してもらうことで無くなる苦しみではありません。

自分の外側にはないのです。

神に触れる… と同じです。

自分の内側にあるのです。

内側なのです。

外側に求める限り、求めるものは得られません。

神も愛も同じです。

読んでくださり、ありがとうございました。

Follow me!

トップへ戻る