高次の存在に触れるために 神の言葉が難しい理由

なぜ神様の言葉は難しいのか?

神の言葉が難しいのには理由があります。

それは全ての人に向けられる言葉だからです。

一人の例外もいません。

神様の言葉は特定の誰かだけに向けられる言葉ではないのです。

誰かだけ特別扱いすることはないのです。

全ての人に向けられる言葉というのは

具体的ではなく抽象的になります。

具体的な言葉では全ての人への言葉にはならないからです。

全ての人に向けられた言葉なので抽象度が高くなります。

だから神様の言葉は難しいのです。

ということは

わかりやすい言葉になった時点で

その言葉はもう神の言葉ではなくなります。

ここで私の恥ずかしい話を書きます。

私には何人かの師匠がおります。

その中でもっとも神様の意識に近い方に教えていただいていた時のことです。

(現在も教えていただいています)

質問への答えがどうもはっきりしない。

わかるようでわからない。

曖昧な感じがする…。

嘘をいっていないのはわかる。

この方の意識が通常の人とかけ離れていることもわかる。

でも、教えてくださることや言葉が

霞のようとでも言いましょうか。

実態を得ないもののようで、なんだかモヤモヤしておりました。

非常に失礼なのですが

あまり鋭敏な方ではないのかもしれないと

思ったこともあります。

このことは私が愚純であったとしか言いようがないです。

私の頭の中などお見通しなわけですから

それでも誠実に礼儀正しく、

真実への道を教えてくださっていることに感謝しております。

わかりやすい言葉だけでは神に近づけない

言葉にした時点で、それは人の言葉になり

神の言葉ではなくなるということを

私は知らなかったのです。

ですから

たくさんの書物、現在ではわかりやすい本が好まれますが

わかりやすい本ばかり読んでいては真実には近づくことができない

ということです。

少し話がそれます。

神の言葉に近い言葉で書かれた書物を

意味がわからなくても読む だけで変化が訪れます。

わかる必要はないのです。

神の言葉に近い言葉に触れるだけでも変化は訪れます。

ただし 数ヶ月、数年ではなく数十年単位ですが…。

数十年続けることができれば

昨日までわからなかったことが突然わかる。

そういう変化が訪れます。

なぜ神に触れたいのか?近づきたいのか?

真実とは何か?

全ての人の真実は何でしょう?

この答えがわからないのならそこから始めるしかないと思います。

思考の先に真実があります。

思考の先に行くには、考えて考えて考えなくてはなりません。

思考することをやめてしまったら真実にはたどり着けません。

だから

怠惰な者は自分の周りに起こる出来事に反応するだけで人生を終えるのです。

思考する過程で己の無知を知ります。

それは自分に対する認識であるかもしれないし、

神に対する認識かもしれない。世界に対する認識かもしれない。

自分の無知を知る過程を経ないと

神様に近づくことはできません。

なぜなら自分の無知を知ることで神の言葉を理解できない自分を知り、

そこから思考が始まるからです。

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